言葉は生きている

スタッフのかげやまです。

アートプロジェクトでは言葉でのコミュニケーションや自己表現が難しい利用者さんや地域の方々にその人の持つ魅力や表現の場を設ける為にアートを通してその人を知る「月イチ現代美術館」という自分の作品を発表する場を開催しています。
もっとその表現をしてもらおうと今回、一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会様の助成金を得て画材道具などいろいろと購入させていただきました。
そのときにふと思ったことがありまして…

それは「はだいろ」という言葉。

僕がこどもの頃にはクレヨンや絵の具の中にあった色。
その「はだいろ」が助成金で購入した画材のどれにも表記されていませんでした。

今や日本にも多様な人種が住むようになり、
白人や黒人の肌の色が違うのはもちろん、同じ日本人でも個人によって肌の色が違う人を僕がこどもの頃より、多く日常で見かけるようになりました。
だからでしょうか、一様に「はだいろ」と定義するのは差別的だということなのか、そのことが表面化してきて「はだいろ」という表現がなくなっていったということなのでしょうか。

他にも「ボケ」という言葉が「痴呆」から「認知症」と名称が変わったり、
「障害者」という言葉が障害者団体等からの要望で「障碍者」と記して欲しいとの声が出ていたりと…

これらの言葉はひと昔では当たり前というか普通に使われて意識しなければ、何にも思っていなかった僕ですが
言葉も人と同じようにその事柄について、誰かと出会い気づき、姿や形を変えながら生きて、中にはなくなっていくものもあり、そうやって言葉や人は生きていくんだなぁと。
最近、人と出会い、人の話を積極的に増やそうとしている僕はそんなふうに感じています。

言葉は動物ので唯一、人間だけが使うコミュニケーションの道具。
聴覚に障害のある両親の間で育ったからでしょうか言葉を音声テキストとして捉えるというよりビジュアル的に言葉をこどもの頃から捉えているようです。
だからなのかどうかはわからなのですが、言葉の語源や意味もとても大事だと思うのですが、その言葉をどういう想いで、どう伝えたいのか、そして、その言葉でどういう関係を相手と持ちたいのかを考えること、それをどう示すかのほうが、大切なのではないかと僕は思うのです。

日々、言葉での表現やコミュニケーションが難しい利用者さんとの関わる仕事の中でより、そう思うようになりました。

あなたとわたしの為にある言葉。ひとりひとりが違うひとりであり、何がうれしくて、何が辛いのか、言葉で話すかのようにアートで表現して欲しい。
その視覚化されたアートをこれからも一緒に共有したいと思います。

月と風とのアートプロジェクトは新年度に向けて新たな展開が生まれそうです。

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